人は水と食料なしでは生きてはいけません。
水はあらゆる生命の源であり、水ほど大切なものはありません。
しかし、今水の需要と供給のバランスが崩れ、必要量を賄えなくなっているのです。
水ストレスとは?
水の需要と供給のバランスが崩れ、水が足りなくなることを水ストレスと呼んでいます。
現在、日本の使用可能な淡水の水資源は、地球上に存在する水資源総量の0.01%しかありません。
水ストレスの最低基準は、人工1人当たり年間1700㎥を下回ると水ストレスとされ、1000㎥を下回ると水不足となります。
水の豊富なカナダでは、1人当たりの水資源は年間8000㎥もありますが、雨の少ない中東やアフリカ、国土の狭いシンガポールでは、年間1人当たり1000㎥しかない国もあります。
また、人工は年々増加傾向にあり、2050年には90億人~100億人に達するといわれています。
人工の増加は、水の増加につながるだけでなく、食料生産にも影響を与えます。
水質が悪いがためにおこる伝染病
水資源が乏しい国では悪い水も使わなければ生きてはいけません。
アフリカのサハラ砂漠の南の地域では、40%もの人たちが、安全な飲料水を使用できていません。
これらの国では、日本ではほぼ撲滅した、コレラや赤痢などの水を媒介して広まる伝染病が脅威となっています。
その被害を最も受けやすい抵抗の弱い乳幼児は、年間500万人が死亡し、5秒に1人の割合で死亡しているとされています。
水資源の70%は農業用!
今、私達が使用する淡水は、大まかに70%が農業用水、20%が工業用水で、生活用水は10%にすぎません。
農業用水は、雨に頼ることの出来ない乾燥地帯で必要になります。
食料事情を改善するために灌漑技術をはじめとする農業技術の進歩により、日照時間の長い乾燥地帯でも、水さえ調達できれば農地として利用可能になりました。
しかし、その水は長期に渡って涵養(蓄えられた)化石地下水と呼ばれる大規模な帯水層によって支えられていたのです。
そして今、この貴重な天然水資源の枯渇が現実味を帯びてきました。
他の国、インドや中国でも、灌漑農業によって食糧生産増加させた一方、大幅な地下水の低下、枯渇が問題になっています。
北京周辺では、地下水の水位が60mも下がったところがあるそうです。
また、複数の国にまたがる帯水層は、世界で273箇所あります。
農業利用による化石地下水の枯渇が国際問題となっているのです。
水を治める者は国を治める
日本では古来より、「水を統治するものは国を統治する」といわれ、洪水を防ぐ治山や治水と農業生産のための灌漑技術が国力を大きく左右しました。
武田信玄はその業に長けた統治者は今も歴史に名を残しています。
大陸では水そのものの確保が紛争の火種に直結するため、水を確保することはより切実な問題です。
開発途上国では水資源が武力紛争の原因になることも珍しくありません。
中東パレスチナの占領の歴史は、イスラエルの水資源獲得の歴史にあります。
メコン川やインダス川流域には多くの国家が存在し、ナイル川では上流にある多くの国家が川の水を利用する構想を持っています。
スーダンに至っては実際に家畜の飲水を巡って部族間で紛争が発生し、数百人の死者出る戦闘が繰り返されています。
まとめ
日本でもかつて水を巡った争いが頻発する時代がありました。
現在はダムによってその確保はできていますが、今一度水の大切さを考え直さなければならない時代にさしかかっています。
私達にできることはわずかですが、一人ひとりが意識しあっていかなければなりません。
私達が普段使っている水道は、飲水や生活用水とするために、地下水や河川を浄水処理します。
処理された水は配水池に集められ、自然流下やポンプなどを使い、配水管を通って各家庭へ輸送されます。
一見何気ないことですが、実はとても複雑な構造で、緻密な計算の元に作られているのです。
その知られざる仕組みや歴史についてご紹介していきます。
水道の歴史
人は生きていくのに水が必要です。
そのために人間は川や湖などの安定した水の近くに住んで生活をしてきました。
人が集まり、都市ができると大量の水が必要になり、近くの川や湖から、水を引くようになったのが水道のはじまりです。
大昔の人たちはどのように水を運んでいたのでしょうか?
紀元前から水道があった!
紀元前28世紀ごろからエジプト王朝で給水用として銅管が使用されていました。
また、紀元前18世紀ごろの古代バビロニア王朝で、王の墓の地下排水に土管が使用され、古代中国でも山中の泉の水を竹の感を使って送水してました。
このようにして、昔から水を送水する方法として水道管を利用してきたのです。
本格的な水道は紀元前312年の古代ローマで作られたアッピア水道です。
当時の配管には木管や鉛管、石管が多く使われており、胴は水栓や弁などに使われていました。
古代ローマの誇るべき土木技術
紀元前312年から3世紀にかけて建築されたローマ水道は、古代の土木建設でもっとも偉大な業績の一つであり、古代ローマ滅亡後1000年以上もこれに匹敵するものは作られていません。
現代においてもこの古代の水道は多くの都市で実用され、2000年以上も水を供給しつづけています。
ローマ水道は非常に精巧に作られており、厳密な許容誤差内で建築されていました。
通常規格で1キロあたり34センチの傾斜(1/3000)で、50キロ進んでもわずか17メートル下がるだけでという非常に高度な土木技術を誇っていました。
しかし、そんなローマ水道もローマ帝国の滅亡で、敵の破壊によりやがて荒廃してしまいます。
11水路からなるローマ水道の中でもヴィルゴ水道の一部は今でも使用されています。
現代に残る最古の水道
ユダ(エルサレム)のヒゼキヤ王のトンネルは紀元前701年にアッシリアの攻撃に備えるために掘られた現存する世界最古の水道トンネルです。
エルサレムの水源であるギホンの泉から城内のシロアムの池まで引くトンネルを完成させました。
トンネルの長さは512.5メートル、落差は2.18メートル、勾配は0.4%(1メートルで4ミリ下がる)
日本の最古の水道
日本では室町時代後期に戦国大名の北条氏康が建設した小田原早川上水が最古の水道施設として記録されています。
小田原攻め後、その仕組を検分した徳川家康は、それを参考にして水事情の悪い江戸での水事業に着手しました。
現存する日本最古の水道として、熊本県宇土市の
轟泉水道は、初代宇土藩主の細川行孝により、轟水源から宇土城下町までの総延長4800メートル、標高差10メートルを1664年(寛文3年)に完成させました。
当時使用された水道管は、松橋焼の
しかし、その後100年ほど経つと痛みが激しくなり、5代目藩主の細川興文の時に、すべて網津産の馬門石に取り替える大改修を行いました。
この管は、コの字型にくり抜いた石に、板状の石を被せ、継ぎ目にガンゼキという接着剤で接合したものです。
この轟泉水道は現在でも100戸程度の生活用水として利用され、今なお使われている上水道では日本最古と言われています。
轟水源は現在日本の名水百選にもなっています。
まとめ
当たり前のように使える水道は、こうした歴史の中から進化したものです。
綺麗な水なくして都市の発展はありえません。
昔の人達はすべての作業を人力で行い、水道管を埋めていきました。
また、水道の整備とは大規模で費用もかかる工事であり、土木技術も必要です。
現在の水道も昔の知恵を活かし、日々安定して供給できるように進化させてきたのです。